犬に似てる

「待て」はしないが「お手」はする。

入院手術もろもろ忘備録(前)

卵巣嚢腫摘出手術、終わりました〜!(ドドンッ!)

 
卵巣嚢腫発覚から2ヶ月半ほど。
「長いよyou、さっさと取っちゃってよ!」などと思っていたけど、仕事や予定をこなしているうちにあっという間に入院となりました。
 
 
入院は火曜日!(決戦は金曜日風に)
時間は10時と言われていたものの、車で15分楽勝〜!という思考のせいでギリギリの到着、そして駐車場がいっぱいで入院しにきたのに入れないというまさかの事態。
10分ほどで駐車場に入れたので急いで受付へ。大きなリュックと手提げを持ってるひとがすぐ前に並ばれていて(入院仲間!)と直感。受付のひとに遅刻を怒られるかなとヒヤヒヤしてたけど、お咎めもなし。良かった!
 
思えばこの日はとてつもなく平和だった。
 
だって特に痛みもなけりゃ熱もない。お願いしていた個室へ通されて、Kindle3DSで時間をつぶす。
(こ、こんなん…家でもできるやんけ…!)
午前ちゅうに入院する意味よ……。せめて昼ご飯食べてからの入院でも良かったのでは……。
しかしかわるがわるナースや薬剤師、先生がやってきて挨拶や説明。そして手術前最後の診察とこなしているうちに昼食前に服薬した下剤が猛威を振るいトイレとお友だちになりあっという間に夕方。
この時(ああ、個室にしといて良かったな…)と心から思った。どんだけこいつトイレ占拠すんねんって思われるところだった。
 
 
手術は水曜日!(決戦は以下略)
手術予定時間が17時だと判明したのは昨日。診察で「手術何時からって言われた? 17時? あーwww そのくらいにwww なるかもねwww」という先生の意味深な言葉が気にかかる……。
しかし先生、私は看護助手していた後輩から「手術時間は押してきますからね〜。早くなることもあるけど、大体押します!」と聞いているのだよ!
遅れると思って待っとくよ!
結果から言うと、この待ちの姿勢は正解だった。一時間近く押して、手術室に連れられて行ったのは18時頃。
手術台に横になってすぐに点滴のルートを取るナース二人。
私の右手にはすでに一つ穴が空いている。手術前から開始する持続点滴のルートがにっちもさっちも入らなかったからだ。ナース二人が「無理ですね! 手術室で入れてもらいましょう!」と完全に投げられた代物である。
ビビるくらいきつく上腕を締められ、擦られ、叩かれても血管は現れない(らしい)。
「ここらへんかな」というこっちが不安になる言葉とともに手の甲に刺されたが、失敗に終わるッ……!
「もう左で取りましょうか」と左腕も締め上げられる。右手はもう痺れてきている。感覚もなくなってきた。
「また失敗したらすみませんね〜」というこっちを完全に不快にさせる言葉とともに右手手首に刺される針。
右に刺さってるから左腕を締め上げてるそれを取れェェい!
失礼ながら、血管が出ない私も悪いんだけども、言っていいかい?
(こんの下手くそがァァァ!!!)
技術じゃないよ、対応がだよ。
三度目の正直でルート確保成功、酸素マスクを(もうちょい右にズラしてもらえます?)という位置に装着され、点滴からも麻酔を流され、(何をするだァァァーー!!!)と心の中で叫びながら私は意識を失ったのであった。
 
 
バルンカテーテル尿道に突っ込まれ、口から挿管を引っこ抜かれるという最悪な目覚めで私は意識を取り戻した。
寝落ちしそうになった直後に襲い来る喉とお腹の激烈な痛み。
(待って待って待ってめっっっちゃ痛い)
ガラガラとベッドごと部屋に運ばれたのが分かったのは、両親と夫の声が聞こえたからだ。目はなぜか開かない。開けようと思っても瞼が上がってくれないのだ。
「もう片方も腫れてたから切ったからね、内膜症も取っておきました。詳しくは元気になってから説明します」と足音を残して去っていく先生。
返事をしようにも声が出ない。喉が痛すぎる。咳ばかり出る。なんかめっちゃハアハアしてるひとになってる。
なんてことだ!これで耳も聞こえなかったら三ザルの完成じゃないか!
耳はしっかり機能していたので、母が涙ぐんで心配している声が聞こえる。父が「挿管してたから咳が出るんや」と説明。冷静か! 正解だけど!
「帰っていいのかな、先生の説明とか」「さっきのがそれやろ。帰ろ」「夫さんも、ほら」とさっさと帰り支度を始めている両親と夫。
夫の「頑張れよ…」という言葉を最後にシンと静まる病室。
 
(頑張れないッ!!!!!!!)
 
どこもかしこも痛い。そして寒い。勝手に体が震える。寒くて寒くて震える!
手術前にナースが用意していた電気毛布はこれのためか! こんな寒いの?! ここは雪山の山小屋か?!
それと喉とお腹が痛すぎる。息もしにくい。え? 死ぬ? これ死ぬやつちゃう? 私の死に目に会えなくていいの? 帰られてしまったぞ?!
何を大袈裟な、と言うなかれ。それほどまでに苦しかったのである。
自分の全体的な痛みを把握した頃、やっと目が開いた。
うっそ、酸素4L流されてるやん。
こ、この感触はオムツ?! ぎゃわー!
そんな中、右向きになったら少しはマシになると直感したのでのろのろと右側臥位を取った時に天使は現れたのだ。
夜勤のナース様である。
私の掠れて弱々しく途切れ途切れの声をしっかり拾って「寒い? 電気毛布しっかりかけますね」「痛み止め30分で効力発揮しますからね、それまで頑張りましょうね」
や、や、や、、、、、
 
優しいッ!!!! 泣いてまうやろー!!!!
 
こまめな訪室とバイタル測定は面倒だろうに、そんなことなどおくびにもださず常にこちらを気遣ってくれる。
酸素マスクは術後2時間ほどで「もう1時間ほどつけてられる?」と聞かれて「取りたい」と言ったら外してもらえた。
 
さて、地獄だったのはそこからである。
時間にして22時。
とっくに悪寒はおさまり、今度は熱に浮かされていた。痛いわ熱いわこれなんの拷問?
手術前のしおりを読み込んでいたので、術後6時間経過しないと飲水もできないし枕も使えないのは知っていた。
(喉が……喉がァァァ……!!!!!)
痛み止めが効き始めたのか、お腹の痛みはマシになってきたが、喉の痛みと気持ち悪さがどうにもならないのだ。
 
うがい!
うがいだけでも!
 
 
出来るわけないよね〜! 
 
あと4時間、何が起こっても耐えなければならないのだ。
もう気を失ってしまいたい! 麻酔でもいい!
頭はクリアな状態、眠れるような状態でもない。
 
詰 ん だ 。
 
 
 
術後は木曜日!(決戦は以下略)
何をしても痛みがついてまわる、唾液を飲み込むだけでも痛いという地獄はなおも続いていた。そして体が熱い。ようするに喉の乾きと痛みが倍増。
手術された直後に病院から抜け出す、みたいな描写をドラマとか漫画で見たことあるけど今完全に理解したあれは無理ゲー(確信)。
あと2時間で飲水、というところで全然眠る様子のない私にエンジェル(夜勤のナース様)は「気を紛らわしますか? テレビつけてもいいですよ! スマホ触りますか?!」など言ってくれたが、そんな場合ではないので「い、いいで、す…」と声を絞り出す。
実はスマホは手の届く場所にあったから既に操作済。スマホを持っているだけで疲れてしまうのでもうお手上げ。
そこからの2時間、ひたすら耐えに耐え、脳内CDを流し、スマホで時間を確認する度にまったく時間が進んでいないことに絶望し……ようやく2時間が経ってお白湯が飲めた時は感動の嵐だった。その感動は誤字だらけでツイートするほどであった…。
水分を取って精神的にも落ち着いようで3時から2時間ほど寝た(気を失ったのかもしれない…)ら、ずいぶんと楽になっていた。
点滴の交換にきてくれたエンジェルに「あの…みんな…手術のあとって…寝れるものです…か…(声かっすかす)」と聞けるほどの余裕!
 
「そうですね、お昼に手術したひとなんかは、お昼に寝すぎて夜寝れなかったりとか……興奮して寝れないというひともいますし……手術が夜までかかったひとは寝ちゃうのが多いんですけどね〜」
 
私も! 寝たかったです! そんなふうに!
 
「あっ、でも人それぞれですね!」
 
フォローありがとうございます! さすがエンジェル!
 
さて、早朝5時、当然のように寝られない。
しかしもう絶望はしない。
10時過ぎにはこの忌々しいバルンカテーテルを抜いてもらえるのだ! そして体を拭いてもらえる!
あと5時間でしょ? たかが5時間!
私は地獄の6時間を耐えた女! 全然耐えれる!
点滴のルートは夕方の抗生剤を入れるまで置いておかれるのも、全然耐えれる!
 
結論から言うと、全然耐えれた。余裕だった。
顔を見にきてくれた両親にかっさかさの声で挨拶。洗濯物を持って帰ってくれるというのでかっさかさの声で置いてある場所を伝える。
まだ点滴もバルンも繋がった「ザ・病人」の姿、ナースがバイタルを取りに来たのもあり「昼からまた来るわ〜」と去っていく両親。
……心配して来てくれたのか……洗濯物まで持って帰ってくれて……ありがとうううう…!
 
感動にひたっていると待ちに待った時間がやってきた。
まずは起きられるか確認。ベッドの頭部をギャッジアップしてなんとか端座位に。
「ちょっと歩いて見ましょうか〜」と言われる。
私、しってる……ここで歩けないとバルンカテーテル抜いてもらえないって……エンジェルが言ってた……。
ふらふらと歩けたので抜去のお許しが出る。ヤッター!!!!!
人としての何かを取り戻せた気がするよ……。
 
 
人としての何かを取り戻した私の病院での奮闘はもう少し続く!