犬に似てる

「待て」はしないが「お手」はする。

賽を振るときは訪れ人生の岐路にたたずむっていうのはこういうことを言うのか

4月の卵巣嚢腫の手術は「片方15センチ大だと思われていたけど、実はもう片方も5センチくらい腫れており、両方悪いところは全部取った、卵管は通っている、一部焼いてるところもある、内膜症も取ってある、妊娠には問題ないでしょう」という結果で終わっていました。

そして、8月あたりになり生理が遅れるという事態が発生。私にすればとても珍しいことだったので、夫と「これは…まさか妊娠のワンチャンあるのでは?」とやや浮足立つも、ただちょっと遅れて普通に生理はやってきたのですが、思いのほか夫が残念がっていること、子どもが欲しいと思っていることを確認できたので、「排卵日知りたいでーーーす!」という軽いノリでルーズ先輩におすすめされた婦人科を受診してみることにしたのです。

 

そう、それが……おそろしい事実を知るきっかけになるとも知らずに……

 

先生は物腰柔らかでやさしそうな男性医師。しゃべり方も穏やかで優しい。聞き取りが終わってから恒例の内診。ここでまず2センチ程度の子宮筋腫があることが発覚!

えっ、待って待って4月に卵巣嚢腫の手術したとこなんですけど?!

気づかなかったってこと?! それかこの4か月でできたってこと?!……とザワッとしたのですが、先生の「この大きさでは特に心配はいりませんよ。もちろん経過観察は必要ですが、妊娠にも問題ありません」と言われてとりあえずホッ。

エコーで卵子が見えることに驚き。先生に「20mmになったら排卵するから、5日後くらいにタイミング取ってみてください」と言われて了承。

そして、「卵巣嚢腫の手術をしてるんだったら、血液検査はしておいた方がいいです。自費になりますけど…」と言われ、(先生がしておいた方がいいって言ってるんだからいいか)と軽く血液検査をしてもらうことに。

 

そして、この血液検査の結果が、私と夫にひどい衝撃を与えることになるのです。

 

血液検査の結果を聞きに行った時、先生の顔を見た瞬間にわかったんですよね……

あんまり検査結果良くなかったんだなってさ……!

 

検査の結果、私の卵巣機能は割と衰えており、さらに残っている卵子の数が非常に少ないことがわかりました。「生理周期が短いことも関係しているかもしれないし、体質的なものかもしれない。手術の影響はもちろんある」とのこと。

そして、「急いだほうがいい。二人目や三人目も考えるならなおさら。残っている卵子が少ないということは、質のいい卵子も少ないということです。だから確率の高い体外受精をすすめます」と先生は言いました。

 

体外受精ッ!!!!

 

そ、それ、不妊治療でよく聞くやつや!!!!

私って不妊やったんかーーーーー!!!!

 

とは思いましたが、「私の体ポンコツかよ!」とも思わなかったし、「うそ……妊娠できないってこと…?!」と落ち込むこともありませんでした。

2月に卵巣嚢腫の診断を受けた時に「子どもが持てないかもしれない」「持てなくても仕方ない」「子どもいない人生もありだな!」と覚悟を決めていたから。

もともと「子どもぜぇったい欲しい!」と思ったこともなく、「ふつう、結婚したら子どもを持つっていうのがセオリーなんだろうな」というくらいのドライな気持ちしかなかった。

確かに周りの友だちがどんどん妊娠して出産していく中で「私はどうしよう」と焦ったことはあったけど、「周りの友だちが妊娠してるから妊娠したい」のか「私自身妊娠したいと思っている」のか、本当に分からなかったんです。だから、その検査結果に大したショックも受けませんでした。

 

私自身は子どもができなくても構わないと思っていても、それで両親をガッカリさせることだけが私を落ち込ませました。あからさまに「まだか」などとプレッシャーをかけるような両親ではないけれど、「ああ、早く孫の顔が見たいんだな…」と察することが何度もあったから。できれば孫の顔を見せてあげたいと思っていたから。

だからこそ、伝えるのに勇気がいりました。

「子どもできないかもしれない」って、なかなか言いにくくないですか?! ねえー! そうでしょー?!

でも大事なことだし、ずっと期待させ続けるのも酷……早く伝えておかないとと思っても「次の生理が来たら言おう」と2か月先延ばしにしてしまったし……。

そう、過去形ということは、両親に! 伝えたんですよ!

表向きは「そうか、わかった。どうするかは口出しすることじゃない、二人で決めなさい」と言われました。でもお母さんがこっそり涙をぬぐっているのをちらっと見てしまった。泣き出しそうになるのをこらえて、笑って「ま、そう言ってても普通にできるかもしれないし!」とか言って、世間話をして、家に帰りました。

「親のために子どもが欲しいのか、いや違う」と常々おもっている私でもしょぼくれてしまいました。

 

「お母さんはもう私という赤ちゃんを抱いたじゃん、育ててくれたじゃん、それで良しとしてくんないかなーーーー!!!」と茶化して言ったら、「子どもと孫はやっぱり違うんちゃう?」とまじめくさった顔で言ってきた夫も、受診して聞いた事実を義母さんに伝えたばかりでした。

「お義母さんなんて言ってた?」と聞いたら「いや、もうあんたらの好きにしーって。孫はどうやとかなんや言うつもりは最初からなかったって。ただ、子どもができひんかったらあんたらはどうするんやって言われたけど、『このまま普通に生活する。もしかして本当に子どもができなくて、それでも欲しいってなったら、養子とか里親とかを考えるかもしれへん』って答えたら、そこまで話し合いできてるんやったらもう何も言うことはないって」「だからそんな背負わんでいいから」と夫は言いました。い、イイハナシダナー…!!(感涙)

さて、その夫はというと「子どもは欲しいけど、いぬちゃんに無理をさせてまで欲しいとは思わん」という姿勢を崩しませんでした。前の職場で2年近く不妊治療をしている先輩(男性)の話を聞いていて、結婚する前から「不妊治療はしない」と公言していたのです。

体外受精をしてしまったら、できるまで終わりがないよ。しかもその終わりはいつ来るかわからへん。精神的にものすごくしんどいよ。いぬちゃんも4月の手術みたいな痛い思いをまたしなあかんねんで。俺はそこまでせんでいいと思ってる」「それに、うちは大丈夫ッ!」という謎のポジティブを発揮しだした夫。

このひと、本当に子どもが欲しいんだな……そういうことは早く言えー!

結婚して2年、夫が「お金」と「子ども」の話をやんわり濁していることにはずっと気がついていました。(とあることがきっかけで「お金」に関しては一気に話がすすんだのですが、それはまた別エントリで)

とかく、子どもに関しては結婚前に「やっと二人で暮らせるのに、子どものことは考えたくない」と言っていた夫。仲の良い友達夫婦に子どもができたと知った時も反応は薄く、生まれてからお祝いしに行ったあとにも「俺やっぱ子ども苦手やわ……」とも言っていたし、普段から「子どもには好かれない」「子どもが苦手」と時折こぼしていたので、私がそこから「このひと、あんまり子どもが欲しくないんだな」と判断したのは当然のなりゆきだったと思います。いや、子どもができるようなことはすごくしてましたけども……。

 

なのに!

おまえ!

卵巣嚢腫の手術をきっかけに、「俺はいつできても構わないから」などと言いだし、あげく体外受精の話が出てから「子ども欲しい」って、おまえさんよ……

 

マジかー……私と正反対の思考に走ってるやないか……(白目)

 

さて、私はというと、「どうするべー……(白目)」という感じ。

子どもは授かりものという通り、できるひともいればできないひともいる。体外受精に踏み切ったところで「確実にできる」わけでもない。それって普通の妊娠と同じでは……違うのはお金がかかることだよね……。

だってぐぐってみたり、ツイッターで検索かけてみたりしたけども、大金つぎこむ割にリターン少なすぎない? 博打要素多すぎない? バグかよ! ってなるわ! 保険適用早よ……!

 

たぶん、めちゃくちゃ子どもがほしい女性が私と同じ年齢でまるっきり同じ状況だったら、一刻も早く体外受精に踏み切ると思うんですよ。年齢も年齢だし。

でも私は「めちゃくちゃ子どもが欲しい」わけではなく、「欲しいかと言われれば困るけどまぁ欲しいと言えなくもないし、でも積極的に欲しいとは言わない」みたいな曖昧模糊で優柔不断な感じなのよね。

やっぱり私はというと、「できたらできたでいいし、できなかったらできなかったでいい」というスタンスしか取れないのです。

 

何年か経って、「ああ、あの時やっぱり体外受精をしておけばよかった……」「子ども欲しかったな」って後悔するのも嫌だけど、未来の私がどう思うかなんてことを今から四の五の言っても分からないし。

 

とにかく、現状維持で様子を見ていきたいと思います。

子どもがいない人生も、いる人生も、どっちもありだと思うからね。今思っていることをガガガっと打ってしまったので矛盾も誤字脱字もあると思いますが、感情の発露と思って大目に見てくださいませ。 

 

 

 

手術後の変化について

卵巣嚢腫ができていたということで、私の体では不調が起こっていた。しかし、不調と気づきだしたのはレディスクリニック受診の4か月ほど前からであった。

 

・顎ラインのニキビが突如爆発し暴虐の限りを尽くす

・生理前の不正出血が続く

・前回の生理から2週間で次の生理が来る

・めちゃくちゃに頻尿

 

など、など。

最初に受診したレディスクリニックで「いきなり大きくなったとかではなく、ずっと前からあったみたい」と言われた15センチ大の卵巣嚢腫なので、「おかしいな~」と気づくまでにずいぶんかかったことになる。

ふだんあまり気にされることのない卵巣という臓器は自己主張もあまりしない様子。あまり自覚症状も出ないとのこと。困ったやつだよほんとにもー!

膵臓と同じ「沈黙の臓器」系のやつだよー!

かくいう私も、結婚してうっすらと妊娠の可能性に目を向け始めたからこそ「そうだ、病院行こう」と思い立ったわけだけど、そうでなければ「まあ大丈夫だろう」と放置しただろうな。そして15センチの卵巣嚢腫がどれだけ大きくなったのか、はたまた捻転したり破裂したりして痛みにのたうち回ったのか、想像するだけでゾッとする。怖っ!

 

しかし、こうなってみて気が付いたことがある。

まずは生理。

・生理周辺症状(生理前に食欲が増す、メンがヘラる、怒りっぽくなる、など)がほとんどなかった。普通に毎日食欲旺盛だったこともあるが、イライラすることもなければメンがヘラることもなかった。

・就寝時に出血することもほぼなかった。

・全体的に量も少なかった。

・生理痛もほとんどない。

・生理中に眠たくなる、お腹がすく。

 

これが、年を経るごとに変化していき、生理前に暴食したくなったり、寝るときにはタンポンのお世話になったり、生理の経血量が増えたり、よくよく考えれば徐々に変化は起こっていたのだ。

しかし、女は7の倍数の歳に体質が変化する、だとか、人間30歳を超えればいろいろ体質が変わる、だの、よく言うじゃないですか。

だから、そう思っちゃったんだよねー!

そんなもんなんだーって思っちゃったんだよねー!

これはただの体質の変化なんだーって。私がそう納得しているうちに、卵巣さんは肥大していった、というわけ。おそろしいなぁ……。

 

でで!

この間、術後初めての生理がやってきたんですけど(さる5月のことです……)、なんと不正出血がありませんでしたー!!

いや、手術までしてるんだから、不正出血あったらびっくりするけども。

あとは、寝てるときに経血が出なかったり、食欲もメンタルもフラットだったり。経血量も少ない。でもこれは術後初めてだからかもしれないし、要経過観察。

手術前まで、生理二日目まで夜はタンポンにお世話になってたんだけど、このままタンポンとさよならできたらうれしいな…!(10月現在、できています…!!!)(一箱あまってるタンポンどうしよう……)

 

手術が決まってから手術を終えたこれまでで、ちょっと考えにも変化が。

妊娠出産に関してもそうだし、自分の体や健康について。

自分のことを割とタフだと思ってるたり、無理がきくと思ってるひとって多いと思うんだけど(私もそう)、それってたぶん自分に合わせて体が頑張りに慣れているだけなんだろなーって。

ノンノンノン!もっと自分のこと大事にしなはれ!…と思うようになりました。

それに「前となんか違うなー」「ちょっと変わったなー」というだけでじゅうぶんに受診の理由になる。何もなかったら「やっぱ何もなかったわー!」で済むことだし、自分の体に「?」が浮かぶことがあれば、生理関係でなくても受診していいと思う。

というか、受診してみてください!!!!

何かあってからじゃ遅いから。

だって、自分の体とか、命とか大事じゃん!

体やこころを壊す前に、自分に過保護になってもいいじゃんね。

自分や、もちろん周りの大事なひとにも。せっかく生きてるんだし、どうせなら健康で元気に生きたいよね。

 

というわけで、「何かおかしい即受診」くらいの勢いで、よろしくどうぞ!

 

手術入院もろもろ忘備録(後)

前回、バルーンカテーテルと点滴(ルートは取ったまま)から解放され、人としての何かを取り戻した私。

という書き出しで下書きに入れてはや半年くらい……ですが、何事もなかったかのように続きを書きたいと思います!(メンタル強め)

 

さて、手術後の体の弱りようは自分でも戸惑うほど。まず、起き上がれない。ベッドをギャッジアップさせ、ようやく端座位になれるという状態。やっと自分でトイレに行けるというのに、なんかもう動作ひとつひとつに時間がかかりすぎてめちゃくちゃしんどい。

完全に病人。これこそ、ザ・患者。入院計画書には、手術後1日目はベッドとトイレ間のみ歩行可能、と書かれていたが、様子を見に来た薬剤師さんに「痛み止めを飲んででも動いた方が良い。明日はぐっと楽になりますからね」と言われたため、遠慮なくロキソニンをもらい、のたのたとお茶をくみに行くなどしていた。

廊下に出ると、「な、仲間…!」という状態の女性がちらほら。

お腹をおさえながらゆっくり歩いている。その足下には弾性ソックス(術後2日目まで履くように言われている)!

(あなたも……あの地獄を乗り越えたのね…!)という勝手な仲間意識を抱き、黙ってすれ違う。

 本当のところはお話してみたかったりしたのだが、無表情で廊下を歩いている女性にいきなりナンパのような真似はできなかった…そこまでのコミュ力は…ないんだッ…!

 

とかく、コミュ力よりも何よりも落ちているのは体力のようだった。何をしても疲れる、すぐに横になりたくなる。横になったら起き上がるのがしんどいから横になりたくない。でも横にならないとしんどい、というジレンマの繰り返し。

後に聞いたところ、術後が一番しんどいそうだ。そりゃそうだ(確信)。

しんどいと言えば、食事。

食事がしんどい、食事が面倒くさいなんて、普段の私なら決してありえない。しかしありえたのだ、この術後は!

手術当日は丸一日絶食、手術翌日の昼食から食事開始というわけで、空腹ではあった。

出てきた食事は五分がゆ、ビーフシチュー、春雨のサラダ、など割とがっつりしていて驚いた。おかゆから始めると聞いていたから、おかゆに梅干し、ごはんですよくらいのものかなと思っていたのに、おかずは普通なんだ……おかゆの必要はあるのだろうか……。

右手のルートが痛いため、左手で食べる。丸一日以上何も食べていなかったし、ゆっくり食べた方がいいだろうから、こりゃいいや、一石二鳥と思っていたけど、食べるだけでも疲れてしまうので左手食べは一石三鳥くらいの効果があるような気がした。

8割ほど食べたところで、どっと疲れが出る。お腹というよりも胸が苦しい。あとから考えると手術の際にお腹を膨らませるため入れられていたガスがまだ残っていたのだと思う。これは3日目くらいまで続いて、地味につらかった(しばらく横になるとマシになる)。

ただ、痛みという点においては、術後4日目くらいでずいぶんマシになっていた。痛み止めがなくても耐えられるし、ゆっくり歩けば特に問題なさそう。鼠径部近くの二つの傷は痛みもほとんどなかったけれど、おへそがとにかく痛い。手術の手引きに「おへその近くに傷ができます」って書いてあったし、たぶんおへそのごく近くの傷がじくじくしているんだろうな、と思っていて、この痛みとはしばらくお付き合いすることになるのですが……ですが……退院して数日、傷をまじまじ見てやっと気が付いたんですけど、この「おへそあたりの傷」は本当におへそを貫通させていたんですよ!

そりゃ痛いわ、おへそが…

 

そして術後4日目、入院期間6日で退院できる運びになり、愛しの我が家へ帰宅することができたのでした。

めでたしめでたし……と、思っていました、9月までは。(不穏な空気を残してつづーーーーーく!!)(続きものにすると面倒だから、別個のエントリにします!)

入院手術もろもろ忘備録(前)

卵巣嚢腫摘出手術、終わりました〜!(ドドンッ!)

 
卵巣嚢腫発覚から2ヶ月半ほど。
「長いよyou、さっさと取っちゃってよ!」などと思っていたけど、仕事や予定をこなしているうちにあっという間に入院となりました。
 
 
入院は火曜日!(決戦は金曜日風に)
時間は10時と言われていたものの、車で15分楽勝〜!という思考のせいでギリギリの到着、そして駐車場がいっぱいで入院しにきたのに入れないというまさかの事態。
10分ほどで駐車場に入れたので急いで受付へ。大きなリュックと手提げを持ってるひとがすぐ前に並ばれていて(入院仲間!)と直感。受付のひとに遅刻を怒られるかなとヒヤヒヤしてたけど、お咎めもなし。良かった!
 
思えばこの日はとてつもなく平和だった。
 
だって特に痛みもなけりゃ熱もない。お願いしていた個室へ通されて、Kindle3DSで時間をつぶす。
(こ、こんなん…家でもできるやんけ…!)
午前ちゅうに入院する意味よ……。せめて昼ご飯食べてからの入院でも良かったのでは……。
しかしかわるがわるナースや薬剤師、先生がやってきて挨拶や説明。そして手術前最後の診察とこなしているうちに昼食前に服薬した下剤が猛威を振るいトイレとお友だちになりあっという間に夕方。
この時(ああ、個室にしといて良かったな…)と心から思った。どんだけこいつトイレ占拠すんねんって思われるところだった。
 
 
手術は水曜日!(決戦は以下略)
手術予定時間が17時だと判明したのは昨日。診察で「手術何時からって言われた? 17時? あーwww そのくらいにwww なるかもねwww」という先生の意味深な言葉が気にかかる……。
しかし先生、私は看護助手していた後輩から「手術時間は押してきますからね〜。早くなることもあるけど、大体押します!」と聞いているのだよ!
遅れると思って待っとくよ!
結果から言うと、この待ちの姿勢は正解だった。一時間近く押して、手術室に連れられて行ったのは18時頃。
手術台に横になってすぐに点滴のルートを取るナース二人。
私の右手にはすでに一つ穴が空いている。手術前から開始する持続点滴のルートがにっちもさっちも入らなかったからだ。ナース二人が「無理ですね! 手術室で入れてもらいましょう!」と完全に投げられた代物である。
ビビるくらいきつく上腕を締められ、擦られ、叩かれても血管は現れない(らしい)。
「ここらへんかな」というこっちが不安になる言葉とともに手の甲に刺されたが、失敗に終わるッ……!
「もう左で取りましょうか」と左腕も締め上げられる。右手はもう痺れてきている。感覚もなくなってきた。
「また失敗したらすみませんね〜」というこっちを完全に不快にさせる言葉とともに右手手首に刺される針。
右に刺さってるから左腕を締め上げてるそれを取れェェい!
失礼ながら、血管が出ない私も悪いんだけども、言っていいかい?
(こんの下手くそがァァァ!!!)
技術じゃないよ、対応がだよ。
三度目の正直でルート確保成功、酸素マスクを(もうちょい右にズラしてもらえます?)という位置に装着され、点滴からも麻酔を流され、(何をするだァァァーー!!!)と心の中で叫びながら私は意識を失ったのであった。
 
 
バルンカテーテル尿道に突っ込まれ、口から挿管を引っこ抜かれるという最悪な目覚めで私は意識を取り戻した。
寝落ちしそうになった直後に襲い来る喉とお腹の激烈な痛み。
(待って待って待ってめっっっちゃ痛い)
ガラガラとベッドごと部屋に運ばれたのが分かったのは、両親と夫の声が聞こえたからだ。目はなぜか開かない。開けようと思っても瞼が上がってくれないのだ。
「もう片方も腫れてたから切ったからね、内膜症も取っておきました。詳しくは元気になってから説明します」と足音を残して去っていく先生。
返事をしようにも声が出ない。喉が痛すぎる。咳ばかり出る。なんかめっちゃハアハアしてるひとになってる。
なんてことだ!これで耳も聞こえなかったら三ザルの完成じゃないか!
耳はしっかり機能していたので、母が涙ぐんで心配している声が聞こえる。父が「挿管してたから咳が出るんや」と説明。冷静か! 正解だけど!
「帰っていいのかな、先生の説明とか」「さっきのがそれやろ。帰ろ」「夫さんも、ほら」とさっさと帰り支度を始めている両親と夫。
夫の「頑張れよ…」という言葉を最後にシンと静まる病室。
 
(頑張れないッ!!!!!!!)
 
どこもかしこも痛い。そして寒い。勝手に体が震える。寒くて寒くて震える!
手術前にナースが用意していた電気毛布はこれのためか! こんな寒いの?! ここは雪山の山小屋か?!
それと喉とお腹が痛すぎる。息もしにくい。え? 死ぬ? これ死ぬやつちゃう? 私の死に目に会えなくていいの? 帰られてしまったぞ?!
何を大袈裟な、と言うなかれ。それほどまでに苦しかったのである。
自分の全体的な痛みを把握した頃、やっと目が開いた。
うっそ、酸素4L流されてるやん。
こ、この感触はオムツ?! ぎゃわー!
そんな中、右向きになったら少しはマシになると直感したのでのろのろと右側臥位を取った時に天使は現れたのだ。
夜勤のナース様である。
私の掠れて弱々しく途切れ途切れの声をしっかり拾って「寒い? 電気毛布しっかりかけますね」「痛み止め30分で効力発揮しますからね、それまで頑張りましょうね」
や、や、や、、、、、
 
優しいッ!!!! 泣いてまうやろー!!!!
 
こまめな訪室とバイタル測定は面倒だろうに、そんなことなどおくびにもださず常にこちらを気遣ってくれる。
酸素マスクは術後2時間ほどで「もう1時間ほどつけてられる?」と聞かれて「取りたい」と言ったら外してもらえた。
 
さて、地獄だったのはそこからである。
時間にして22時。
とっくに悪寒はおさまり、今度は熱に浮かされていた。痛いわ熱いわこれなんの拷問?
手術前のしおりを読み込んでいたので、術後6時間経過しないと飲水もできないし枕も使えないのは知っていた。
(喉が……喉がァァァ……!!!!!)
痛み止めが効き始めたのか、お腹の痛みはマシになってきたが、喉の痛みと気持ち悪さがどうにもならないのだ。
 
うがい!
うがいだけでも!
 
 
出来るわけないよね〜! 
 
あと4時間、何が起こっても耐えなければならないのだ。
もう気を失ってしまいたい! 麻酔でもいい!
頭はクリアな状態、眠れるような状態でもない。
 
詰 ん だ 。
 
 
 
術後は木曜日!(決戦は以下略)
何をしても痛みがついてまわる、唾液を飲み込むだけでも痛いという地獄はなおも続いていた。そして体が熱い。ようするに喉の乾きと痛みが倍増。
手術された直後に病院から抜け出す、みたいな描写をドラマとか漫画で見たことあるけど今完全に理解したあれは無理ゲー(確信)。
あと2時間で飲水、というところで全然眠る様子のない私にエンジェル(夜勤のナース様)は「気を紛らわしますか? テレビつけてもいいですよ! スマホ触りますか?!」など言ってくれたが、そんな場合ではないので「い、いいで、す…」と声を絞り出す。
実はスマホは手の届く場所にあったから既に操作済。スマホを持っているだけで疲れてしまうのでもうお手上げ。
そこからの2時間、ひたすら耐えに耐え、脳内CDを流し、スマホで時間を確認する度にまったく時間が進んでいないことに絶望し……ようやく2時間が経ってお白湯が飲めた時は感動の嵐だった。その感動は誤字だらけでツイートするほどであった…。
水分を取って精神的にも落ち着いようで3時から2時間ほど寝た(気を失ったのかもしれない…)ら、ずいぶんと楽になっていた。
点滴の交換にきてくれたエンジェルに「あの…みんな…手術のあとって…寝れるものです…か…(声かっすかす)」と聞けるほどの余裕!
 
「そうですね、お昼に手術したひとなんかは、お昼に寝すぎて夜寝れなかったりとか……興奮して寝れないというひともいますし……手術が夜までかかったひとは寝ちゃうのが多いんですけどね〜」
 
私も! 寝たかったです! そんなふうに!
 
「あっ、でも人それぞれですね!」
 
フォローありがとうございます! さすがエンジェル!
 
さて、早朝5時、当然のように寝られない。
しかしもう絶望はしない。
10時過ぎにはこの忌々しいバルンカテーテルを抜いてもらえるのだ! そして体を拭いてもらえる!
あと5時間でしょ? たかが5時間!
私は地獄の6時間を耐えた女! 全然耐えれる!
点滴のルートは夕方の抗生剤を入れるまで置いておかれるのも、全然耐えれる!
 
結論から言うと、全然耐えれた。余裕だった。
顔を見にきてくれた両親にかっさかさの声で挨拶。洗濯物を持って帰ってくれるというのでかっさかさの声で置いてある場所を伝える。
まだ点滴もバルンも繋がった「ザ・病人」の姿、ナースがバイタルを取りに来たのもあり「昼からまた来るわ〜」と去っていく両親。
……心配して来てくれたのか……洗濯物まで持って帰ってくれて……ありがとうううう…!
 
感動にひたっていると待ちに待った時間がやってきた。
まずは起きられるか確認。ベッドの頭部をギャッジアップしてなんとか端座位に。
「ちょっと歩いて見ましょうか〜」と言われる。
私、しってる……ここで歩けないとバルンカテーテル抜いてもらえないって……エンジェルが言ってた……。
ふらふらと歩けたので抜去のお許しが出る。ヤッター!!!!!
人としての何かを取り戻せた気がするよ……。
 
 
人としての何かを取り戻した私の病院での奮闘はもう少し続く!
 
 
 
 

いろいろ本気出して(ないけど)考えてみた

事の顛末はしくじりいぬきに書いた通りで四月に入院するわけだが、入院するのは実に二十五年ぶり。数字にすると恐ろしい、いつの間にこんなに年をとってしまったのか…!


それはさておき、幼少の頃私は入院のプロだった。川崎病で長く入院したのを皮切りに、肺炎、マイコプラズマ肺炎と入退院を繰り返してきた。そこから嘘のように元気になった私は川崎病の経過観察のためにそこそこ病院に通い、その途中に盲腸の手術で入院することになる。これが最後の入院である。


入院のプロなどと見栄を切ったが、実際に入院ちゅうの着替えやら何やらをあれこれすべてやってくれたのは母であり、私はただ患者ライフを送っていただけである。

今回、ひとり立ちしてから初の入院になるわけで、なんていうか、「どうしよう」の一言なのだ。


もう子どもじゃない。結婚すらしている。


着替えは、たぶん病院で借りた方がいい。病衣みたいなやつ。余計な出費になるけど夫に洗濯を頼むのも気が引ける。母に頼めばしてもらえるだろうけど、そこまでお願いするのも申し訳ない。しかもそんなにパジャマ持ってないし。いや、中身よ! さすがに下着は借りられない! 七日分? 七日分の下着?! マジかー…。むしろ手術に生理かぶったらどうしよう…手術後はしばらくバルーンカテーテル入れられて寝っぱなしなのに…。あー、それに入院ちゅうってやっぱりパジャマで一日過ごしててもいいものなの? むしろずっとスッピン?! 私はいいけどお見舞い来られた時気まずくない?! と、よく分からない疑問が止まらない。


部屋は周囲のすすめで個室にすることにしている。個室贅沢じゃないかなー、多床室なら同じ境遇の女性と喋ったりできないかなーと思っていたら、ナースに「ないない。おばあちゃんと同室とか普通にある」「消灯早いからテレビもスマホも気を使うよ」と言われて、なるほどならば個室だと考えを改めた。

か、…金なら…あるんや!


あとは、七日ほど一人暮らし状態の夫のこと。私は常日頃から「子どもじゃないんだから」を武器に、自分が遊びに行く時や夜勤の時の彼の晩ご飯を用意していない。

だって子どもじゃないんだから!

一人前の大人の男よ? お金も持ってるし自分の食べるものくらい用意できるでしょうよ。

しかしだ。

彼は自炊という言葉と無縁である。晩ご飯がない時はインスタントラーメンや袋ラーメンで済ませていることを私は知っている。それが一週間も続くのはさすがに可哀想な気がするのだ。しかもその間私は上げ膳据え膳(病院食)の身分。

まあ、ほか弁とか、コンビニ弁当とか、いろいろあるから、大丈夫か! 外食という手もある。だって 子どもじゃないんだもん! 入院するまでずいぶん猶予があるから、それまでにちょっとしたものを作れるようになってもらうという手もあるし。


などなど、たまに考えながら普通に過ごしている。

卵巣嚢腫で片方の卵巣を手術するわけだけど、大丈夫なところは残すと言われているし、驚くほど楽観的な自分がいる。

だって、これ治ったら、頻尿も解決、ホルモンバランスからくる顎ラインのニキビも解決。病院食でちょっとは健康的に体重が落ちるかも!

それに、そのうち子どももなんとかなるだろう。

しくじりいぬきで書いた通り、「できなくてもいいや。できたら嬉しいけど。できなくてもいい。夫と二人で面白おかしく生きていこう。子どもができたら三人で楽しく生きていこう」とすっぱり割り切れるようになったから、ものすごく心が軽い。驚くくらいスッキリしている。えーびばでぃごーごーすっきりー!とか歌いだせそうなくらいスッキリしている。

これまでは周りの相次ぐ妊娠・出産ラッシュ、親の期待、自分の期待、年齢、そういうもので焦っていないつもりでも、どこかで焦っていたのだと思う。

「子どもをもつ、もたない」は当人たちの自由だし、そもそも授かりものだし、って思ってはいても、不正出血を着床出血かもと思ったり、生理が来たら「あーあ」ってちょっとガッカリしたり、自分の勝手な期待がストレスになったりしていた。

だから排卵日検査薬も使う気になったのだし、婦人科に受診する気にもなったんだけど。

紹介された病院に行くまでは一時落ち込んで、妊娠している友だちがむしょーーーーーに羨ましくなったこともあった。

いいなあ…幸せだよねえ…いいなあ〜! 私もそうなりたいな〜! …とかさ。


ほんとおバカさん!!!!!!


妊娠してるから、幸せそうに見えるから、そのひとが幸せなんて分からない。幸せならそれに越したことはないけど。それは私の思い込みだ。他人の幸せは他人だけが決められる。私の幸せは私だけが決める。比べるなんて野暮で無粋で不毛だ。

よそはよそ、うちはうち。

いいじゃんね、私は私で子どもがいなくても夫と結婚した今すごく幸せで、これからも一緒に幸せでいたくて、それでいいじゃんね。

というわけで、今はもう大丈夫! です!


それが一番良い解決をみたなあと思っていることだったりする。

手術まで一ヶ月と少し、体調管理(熱発したら手術延期とかあるって聞いた)とぼちぼち準備していこうと思う。




しくじりいぬき〜俺みたいになるな!

「ちょっと〜、ブログ書いてないよ〜」とはてなから来たメールもスルーして年を越し、存在を忘れかけていたこのブログ。

あけましておめでとうございます(ここでは今年初だからね!)

親愛なる友人のようにはてなさんが「おいおい、ブログ〜!」と再度更新の催促をしてくれたわけではないが、ブログに書かなきゃ、という出来事が起こったので筆を…いや、何度かパスワードを間違えつつはてなブログにログインした次第だ。

 

早速本題だが、私はきたる四月に手術のため入院することとなった。

卵巣嚢腫である。

実は昨年の九月あたりから二週間あけずに生理がきたり、少量の不正出血が続くことが時折あった。「これはおかしい…」と感じてはいたものの、婦人科の受診に踏み切らなかったのは、おかしいぞと思う生理が来たと思えば次はいつも通りの生理だったりして、自分の中でイマイチ決定打に欠けていたからだ。

しかし、そろそろ子どもができてもいいな、と夫と意見が一致したこと、友人から「うちは排卵日検査薬使ったよ!」という助言から、今年に入ってすぐ排卵日検査薬を使い始めたところで「やっぱりなんか変だ」と確信するに至った。

排卵日検査薬が反応しない。二周期続けてだ。

相変わらず極少量の不正出血も続いている。

 

一月末、実家近くのレディスクリニック受診を決めた。たぶん産むならここになるだろうし、と軽い気持ちで選んだ。評判も良かったし。

問診表に記入してから検尿、そして先生の問診。

「あーこの基礎体温じゃ排卵してないね」「すぐ子どもほしいの?」「ホルモンの検査するから、血液検査します」「子宮頸がんの検査もしときます?」という流れから、あれよあれよと噂に聞いていたあの足をパッカーンと開かされる器具に座っていた。

内診は「オエッ」という感想しかなかったが、先生が看護師に「血液検査はいらない」と言った声を聞いて(へっ?)となった。すごく嫌な予感がしたのである。

簡易ベッドに寝かされてエコーの画像を見ながら説明を受けた。

 

いわく「卵巣がすごく腫れてる。一番大きいところは15、6センチあるね」

 

な、なんそれなんそれなんそれ。

 

「腹腔鏡の手術で取れると思うけどね。有名な先生がいるから紹介状を書きます。先生は人気だから予約取りにくいかもしれないけど」

 

いやいやいやいや。待って待って待って。

 

「しゅ、手術はいいんですけど、どれくらい入院にかかりますか?」

 

私は社畜ではないが、反射的に手術するなら仕事休まなきゃ!と思ったのでこの疑問が飛び出したのだが、先生からは「それはここでは何とも言えない」という答えしか返ってこなかった。なんとなくでいいのに、ヤブ医者め!(八つ当たり)

まさか「ヤブ医者め!」と口にはできないので、「はあ」と適当に返事して診察室を出た。

車に乗り込んで、家へと帰る道すがら、やっと動揺が追いついてきた。

子どもができないかもしれない、夫に話さなきゃ、まだ仕事ちゅうだしLINEはやめとこう、親になんて言おう。

いろんなことを考えて考えて、考えているうちに涙が出てきた。悲劇のヒロイン気取りか、と自分にツッコミを入れたところで涙は止まらなかった。自分のナイーブさに驚きつつ、そのまま泣きながら家に帰ったが、落ち込むより先に元気を出さねば!と昼ご飯を作ることにした。

割と重大な問題に直面するのだから、ご飯を食べて元気出さなきゃ!!というわけである。私は生きようとする意志が強すぎる。食欲をなくしてこういう機会に痩せたかったが無理な話だった。

ご飯を食べてから、早速ぐぐってみることにする。敵を知らなければ何ともならない。

「卵巣 腫れ」で検索。あのヤブ医者(八つ当たり)は病名を教えてくれなかったからな!

もちろん出てくる出てくる。

卵巣嚢腫、腹腔鏡での手術は三泊四日程度、費用は15〜30万円、手術後は妊娠しやすいゴールデン期、などという情報を15分程度で入手。ててててーんてーんてってて〜! いぬきはレベルが上がった!

 

 

レベルが上がったとはいえ、不安は消えなかった。だって、本当に卵巣嚢腫なのか、これからどうなるのか、全然わからないままだったからだ。

とりあえず、現状できることはあまりない。

1 紹介状をもらう

2 予約を取る

3 病院受診する

 

両親には「3 病院受診する」が終わってから報告することにした。今のこのいろいろ不確定な状態で知らせてしまうと不安にさせてしまうに決まっている。

仕事から帰宅した夫に事情を説明すると、…あー…「こいつデリカシーねえないっぺんお星さまになって?(湾曲的表現)」と言いたくなるような対応もしてきたため、グチグチと話が長くなってしまいそうだから割愛させていただく。

とかく、現在1~3までのすべてのミッションをクリアした。4 両親に報告 も済ませた。

「妊娠した」という報告ではないという心苦しさはあったが仕方ない。ちょうど母親の保険にかませてもらったところだったので「あんた保険入っといて良かったなぁ」と言われたくらいだ。表面上だけでもガッカリした顔を見せず、ただ心配してくれたのはうれしかった。

 

さて、話は戻るが、3 病院受診する は、とにかく時間がかかった。だが、紹介状の先の先生はさすがに歴戦戦士なのか対応もさっぱりしていてとんとん拍子に話と検査が進んだ。

「子どもは希望してる?」「で、できれば!」「はいはい、挙児希望ね」

あ、子どもも大丈夫なんだ!とすごくホッとしたのを覚えている。予約を取って病院受診するまで10日くらい経っていて、その間に「子どもできないかもしれないな、それでもいいか、うん、しょうがない、そういうことだってある」と自分なりに覚悟を決めていたので拍子抜けしたともいえる。

時間がかかったのは、MRIの待ち時間が1時間半以上あったためなのだが、MRIの画像はさすがに「おお…」と思った。

ほんまにあるわ。丸い球体が。しかもでかっ! これほかの臓器大丈夫? めちゃくちゃでかっ!

卵巣嚢腫だねー、大きいねー…いや、大きいな…これは大きい…」「子宮より大きくなってるねー」「測ってみる? 16センチと…10センチ…大きいねー」とあまりに「大きい」を連呼され、なぜか「お、大きいですかー////」と照れてしまいながら卵巣嚢腫の説明を受けた。

「漿液性の卵巣嚢腫ですね。サラッとした液が入ってます」

卵巣嚢腫で調べていたので、腫れた卵巣の中に血が溜まっているもの、液体が溜まっているもの、髪の毛や骨(!)ができているものがあることは知っていたけど、液体だったか…。

「膀胱押されてますねー、これ取ったら頻尿は解消しますよ」

頻尿はね、めちゃくちゃ自覚があった。

何しろめちゃくちゃ頻尿だから。

どれくらいかというと、レディスクリニックに入る直前トイレに行く→15分もたってないのに「検尿とってください」→絶望→普通に出る、というくらい。午前中は特に頻尿なのですよ…。

でも「当帰芍薬散(水分代謝をよくしてむくみをとる)飲んでるからだな」と思い込んでいたから、これが解消するのはうれしい…!

 

「で、手術ですけど、いつにしますか?」

えっ、いつって、選べるの? 先生めちゃくちゃ人気だからこの予約もなかなかの滑り込みだったんですけど!

「うーん」と言いながらカレンダーをめくる先生。いやいやいや待って待って待って、めっちゃめくってるやん、それ何月? なるべく早く! 早く取っちゃってほしいんですけどォォォォ!

「一番早くてゴールデンウィーク…後…」

さすが人気の先生ーーーーー!!!! 遠いーーーーーーー!!!!!!!!(病院受診は2/8)

「あ、四月空いてるとこあるね、どうします?」

「そこで! お願いします!」

「はいはい。じゃあ前日から一週間入院ね」

「一週間?!(長ない?!)あ、あの、仕事はどれくらいからしていいですか…」

「一週間は診断書で休み取れるよ。元気なひとは退院してすぐに働くけどねー」

「一週間でお願いします!」

「ははは」

「やっぱりちょっと休みたくって…えへへへ…」

 

そういうわけで、手術日とその二週間前に麻酔科の受診日が決まり、病院をあとにした。

13時半前に病院に来て…帰るのが17時半て…くそ…MRIめ…。

 

そして現在二月も末。

特になんの制限もないまま普段通り生活をしている。仕事もしているし、夜勤もしている。先生に「何か禁止することとかありますか?」(セックスしないほうがいいですか?とは聞けなかったさすがに。シャイだからさ…!)と聞いたら「お腹叩かないで」と言われただけだからだ。

職場の方も「これから子どもを産む大事な体なのに…!」と心配され、入院一週間こみの二週間の休みも難なく取れることになった。それどころか「そりゃ仕事はきつくなるけど、そんなの問題じゃない」「もう四月いっぱい休んだら?!」などと言われ「それは大丈夫です!(年休なくなるー!)」という会話をしたくらい。

 

皆言ってくれるのは、「見つかって良かった」に尽きる。

特に「結婚してなかったら、ちょっと不正出血あったくらいで婦人科行く? いかへんやろ? 旦那さんに感謝やな。排卵日検査薬すすめてくれた友だちにも感謝」と言われた時はびっくりした。それは感謝しすぎやろ、と思ったけど、確かに放っておいたらもっと大きくなって破裂、または捻転して激痛のち手術、という未来が待ち構えていたかもしれないのだ。

先生も言っていたが、「自覚あるひとなんてそうそういない」そうで、15センチ大に膨れ上がっても気づかないのは普通のことらしい。私が特別ニブいわけではなかった、よあった…。

でも、おかしいな、とひっかかることはあったのだ。

まずは顎ラインのニキビ。しばらく見なかったニキビが暴れだしたのは九月頃、暴虐の限りを尽くしだしたのは十一月末だった。皮膚科にいっても治らず絶望に沈んでいたのだが、答えが出た。

「顎ラインのニキビの原因はホルモン」「ホルモンを司るのはー?」「卵巣ー!」

あとは、不正出血、生理周期の乱れっぷり。

 

なんでその症状が出始めたときに病院に行かなかったの?と言われるかもしれないけど、「これくらい平気だろ」と思っちゃったからである。たぶんきっと、そういうひと多いんじゃないかな。「元気なんだから、自分に限ってそんなことない」って思いがちじゃないかな。

でも「これくらい…」と思わずに、少しでもおかしいな、なんか変だな、いやだな、と思ったら受診した方がいい。自分の体が出してるサインを見て見ぬふりしちゃいかんよな、もっと信じてあげなきゃな、と思うわけで。

次から「おかしい」と思ったら即受診する、絶対。もちろん夫や家族にもそれをすすめる。いざとなったら首根っこひっつかんででも病院に連れていく。

何かあってからじゃ遅いんだもんな。

不正出血があったり、生理が長いことこなかったり、生理周期がおかしかったりしたら、何もなければそれで良し、と思ってまず病院に行ってみてほしいです。

 

と、いう話でした!(シメ方がわからんわ!)

 

 

しくじりいぬき~俺みたいになるな!~ 完

 

 

セックスのことはそれほど

私はツイッターのアカウントを4つ持っている。
一つめ、大昔に作ったアカウントで、たぶんリア垢に分類される。しかし最終ツイートが2013年7月4日。消していいかもしれない。
二つめ、腐った女子であるので、そういうアカウント。結婚してからこっち、ツイートがめっきり減っている。とてつもなくTLの流れが速く追い切れない。アニメの感想リアタイとかされるから。
三つめ、ダイエット記録アカウントのために作った。消していいかもしれない(お察し)。
四つめ、心機一転、言いたいことを言うために作ったアカウント。このブログの存在を知っているのは間違いなくこのTLのみなさん。
四つめのアカウントは居心地がいい。会ったことがないひとばかりだけど、友だちが思い思いにぺらぺらしゃべっているのをふむふむと聞いているような楽しさがある。
あれ、きょうはあの子がいないな、最近あのひとツイしてないな、さみしいな、元気かな、忙しいのかな、と思ったりするから、勝手に友だちのような気持ちになるのだろう。
そして、この四つめのアカウントで驚いたことがある。

みんなセックスめっちゃ好きやん! ということ。

特に女の子な、女性な、そこのあなたな。

なんというか、セックスの話って、タブーなところがあるでしょう。思いっきりプライベートなことだし、性的なことは「いやらしい」から隠されることが多いし。
でも、四つめのアカウントのTLはそういう話があふれている。
すごくあけすけなツイートも見るし、ほのかに香らせるだけのツイートもある。
もちろんセックスだけであふれているTLではないが、ひときわ輝くこの単語。中学生か。
余談だが、四つめのアカウントを作った時はそこまで「セックスしたい」と日常的に思ってはいなかった。
むしろ「あー、次のデートでまたセックスするのかな」「忘れないようにお手入れしないと…めんどくさいな!」「あんまりセックスばっかりするのもなあ…」などと思っていた。
本当だ。
彼氏に対して「なんでそんなにセックスしたいんだ?!」と思っていた。
それが今やTLの「セックスしたい」ツイに「わかる」と力強く頷いてしまう。
明らかにTLの影響を受けている。
あ、そういうこと言っていいんだみんなそうなんだ、へえー、えっなにそれいいなぁ、なあなあそういう時ってどうしてるの、だとか、話しかけたい。


実際に友だちとも喋りたい。


でも、できない、んだよなー!

やっぱり恥ずかしさが先に立つ。現に私は仲のいい友人たちと「普段のセックスについて」話したことがない。
どんな風にはじまるかとか、夜するか朝するかとか、そういうソフトなことについてもだ。
「うちは平日は無理って話してるよー、冬は寒いから絶対できない」と言われて「そうなんやー、うちは平日休日あんまり関係ないかなー。寒いっていうのもないし」と返した、その程度。
特にその子は私の親友で、同じく既婚者。結婚する前からお互いの彼氏も合わせて仲良くしており、突っ込んだ話をしてしまったら気まずくなるかな、と考えてしまったのも理由のひとつ。
結婚前、その四人で旅行に行った時、私は親友に聞きたくて、でもどうしても聞けなかったことがある。
宿泊先のビジネスホテルでは二部屋に分かれた。
晩御飯は地元の居酒屋で。カツオのたたきに舌鼓を打った。とにかくおいしかった。お酒を飲んでいないのは私だけだった。
食べたあと、別行動しようかという話になった。「帰ってきたらうちの部屋に来て! 四人で飲も!」と親友さんは言い、彼氏と商店街の散策に出かけた。
私と彼氏(今の夫)が取った行動は、散策などせずホテルに直帰。
親友さんの言葉は完全に社交辞令と受け取っていたので、なんというか、当然ながらセックスした。親友さんたちの部屋には行かなかった。
当時、お互いに実家暮らしだった私たちにとって「お泊りイコールセックスチャンス」だったのだ。
宿泊地までのドライブ、観光、おいしい料理、ぜんぶ旅行の醍醐味だ。当然、めちゃくちゃ楽しい。全力で楽しむ。
でも、言ってしまえばそれらすべて前戯。ベッドに入ってからが本番。
そういうわけで、メインディッシュを逃すわけにはいかなかったのだ。
そして翌日、何時に朝ごはんね、とも決めていなかったので、朝からセックスしていた。ひとだんらくしたところで「朝の散歩行ってるとこ! もうちょっとしたら部屋に迎えに行くから朝ごはん食べに行こう」とラインがきた。
それならと着替えたものの、来ない。まだ来ない。
まだもやっとしたいやらしい空気を残していたので、そっちに流れるのはすぐだった。
ただ、今回は時間に制約がある。
指でなかをいじられ、あんあん言わされ、「もー何すんの。いつ来るかわからへんのに!」「ごめんごめん」なんていちゃいちゃしていると呼び鈴が鳴ったので、文字通り私たちは飛び上がった。
セックスしてました、とバレるのは恥ずかしい。
いや、どうせそっちも夜はしてたんでしょ、と思ってはいるが恥ずかしい。
「お、おはよ~」と言う私は不自然な笑顔になっており、親友さんには「何笑ってんの?」と言われ、彼氏には自然にしろとばかりお尻を叩かれた。
朝食バイキングで卵焼きを取りながら、私は親友さんに「昨日の夜何してた?」と聞いた。行けなくてごめんな、と前置いて。
「何って、おつまみ買ってきたから飲み直したよ。そんで寝た」
思わず、それだけ?! 寝ただけ?! と聞くところだった。
えっちした~? と聞きたかった。
でも聞けなかった。でも心底聞きたかった。今からでも聞きたいくらいである。聞けないけど。

それはまさに親しき仲にも礼儀あり(?)

もちろんツイッター上に礼儀がないわけではない。
顔が見えない、声も聞こえない、文字だけのツイッターだからこそ感情が伝わりにくいと思うので、リプする時は割と神経を使ったりする。
距離が近いかな、仲良しって思ってもいいかな、と思うフォロワーさんには軽くリプしちゃうけど。

話がそれた。

とにかく、セックスの話だ。
セックスについてのツイートの多いこと!
セックスしたいのツイートの多いこと!
それだけ日常的に、実際にセックスについて話したいけれど話せないひとが多いってことじゃないのか。
ぶしつけに無遠慮に下世話に話したいわけじゃない。そういう話題じゃない。
でも、普通に、他愛ない話をするみたいに、セックスの話がしたいのだ。
なんでかって言われると、私に関しては、たぶん好きだから。好きなことについてって話したいもん。
話題にしたいもん。「あのドラマ観た?」「今週のジャンプ読んだ?」みたいに。
そんで、「今週の展開アツかったなー!」とか「あのセリフ最高じゃなかった?!」とか、具体的にわいわいきゃっきゃしたい。
したい、と言っているうちはできない、とどこかで聞いた気がする。
でもいつか、この四つめのアカウントのフォロワーさんと会うことができたら、絶対にセックスの話をしてやるんだから。
「で、最近どうなの?」「えー、そっちは?」とか、いちゃいちゃひそひそ話したい。
もちろん、それ以外の、他愛ない話も。
何しろよく知っている気になっているのに会ったことがないのだから、聞きたいこと知りたいこと話したいことがたくさんある。
きっと、いつものざわついたTLを追うみたいに、友だちのおしゃべりに耳を傾けるみたいに、自然にわいわいきゃっきゃできる気がする。

あと、「旅行先では絶対セックスするよね?!」「むしろセックスするために旅行するのでは?!」と暴論を振りかざし「エロ旅行だ~!」と盛り上がりたい。